不動産関連の中でもトラブルが多い”借地権”
なぜ、これほどまでにトラブルが多いのでしょうか?
それは、土地を貸す側・借りる側の「不公平感」が大きいこともさることながら、権利関係が非常にややこしく、お互いに違った解釈で意見を言い合ってしまうからだと考えられます。
借地権は、契約した時期によって、権利の内容が大きく変わります。
だからこそ、この複雑な借地権の全容を把握するには、借地権の歴史を紐解くことが大切です。
この記事では、借地権の歴史について、分かりやすくまとめました。
「借地権付きの土地・建物を遺産相続した」「地代の値上げ要求された」「法外な更新料の請求された」など、借地権について、お困りの方は是非、参考にしてください。
目次
借地権とは
まずは、借地権について、おさらいしてみましょう。
借地権(しゃくちけん)とは、「土地を借りる権利」のことを言い、借地借家法では、「建物の所有を目的とする地上権又は土地の賃借権をいう。」と定義されています。
簡単に言えば、建物を建てるために、地代を払って土地を借りることのできる権利です。
▲借地権のイメージ図
- 借地:他人から土地を借りること
- 借地権:自己所有の建物を建てるために、地主から土地を借りる権利
- 借地人(借地権者):借地権を有する者
現在の借地権
現在の借地権は、1992年(平成4年)に制定された「借地借家法」で定義されており、契約の種類、期間、更新、返還方法など、様々なことが定められています。
契約種類 | 普通借地権 | 定期借地権 |
---|---|---|
契約期間 | 30年 | ・50年以上(一般定期借地権) ・30年以上(建物譲渡特約付借地権) ・10年以上50年未満(事業用定期借地権) |
契約更新 | 地主は「正当事由」がある場合に限り、更新の拒絶ができる | 契約更新はなし |
返還方法 | 定めなし | 更地返還が原則 |
契約種類の1つである「定期借家権」は、
- 契約更新が満了すると、借地契約が終了する
- 契約更新の拒絶に「正当事由」が必要ない
という特徴から、地主が安心して土地を貸すことのできる制度となっています。
過去の借地権の効力は続く
現在の借地権は、地主、借地人ともにある程度「公平性」のあるものとなっています。
しかし、かつては、地主の権利が著しく強かったり、逆に借地人の権利が著しく強かったり、不公平感が大きい時代が長く続いていました。
法律が変わって不公平感が是正されたとはいえ、法律には、法令不遡及の原則があります。
これは、新しい法律が制定されたとしても、制定前の事実にさかのぼって適用されるという原則。
つまり、あくまでも契約時点の法律が適用され、たとえ法改正があったとしても違法となることはありません。
例えば、借地契約を昭和45年に結んでいるなら、現在でも昭和45年時点の効力が継続され続けます。(新しく契約を結び直さない限り、新法の影響は受けません。)
新しく作られた借地借家法(現行法)と借地法・借家法(旧法)の両方が存在する。
このことが借地権を複雑にしている大きな要因となっています。
借地権の歴史
では、借地権は、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか?一つ一つ見ていきましょう。
次は、借地権に関わる主な出来事を時系列でまとめたものです。
年 | 制度 | 概要 |
---|---|---|
1875年 (明治8年) |
地租改正 | 土地売買の自由化、課税方法などの変更 |
1896年 (明治29年) |
民法制定 | 「所有権絶対の原則」により借地人の立場が弱くなる |
1909年 (明治42年) |
建物保護に関する法律 | 借地人を保護する |
1921年 (大正10年) |
借地法・借家法の制定 | 借地人の保護が強化 |
1924年 (大正13年) |
借地借家臨時処理法 | 関東大震災の被害を受けた居住者を救済する法律 |
1939年 (昭和14年) |
地代家賃統制令 | 国家総動員法に基づく価格統制 |
1941年 (昭和16年) |
借地法・借家法の改正 | 「正当理由」により借地人の保護が強化 |
1966年 (昭和41年) |
借地法・借家法の改正 | 「借地非訟事件手続」により借地人の保護が強化 |
1992年 (平成4年) |
借地借家法(新法)の制定 | 「定期借家権」の創設、「正当事由」の明確化などにより、地主を保護 |
※赤文字は、特に重要な出来事を示しています。
江戸時代
江戸時代までは、領主が所有する土地を農村で集団で管理することが多く、土地を所有する概念はあまりありませんでした。
また、田畑永代売買禁止令や分地制限令により、田畑の永年売買や利用方法は禁止・制限されており、土地の流動性は現在と比べると非常に低い時代でした。
1875年(明治8年) 地租改正
土地制度が大きく変わったのは、明治時代になってからです。
当時、欧米列強はアジアの植民地獲得競争に乗り出しており、日本としては近代国家を建設することが急務でした。
しかし、旧幕府は、歳入基盤が脆弱で慢性的な赤字を抱えており、近代産業と軍備を整えるための資金確保するには厳しい状況。
そこで明治政府は、租税制度改革を実行することになります。
土地の私的所有権を認め、土地の売買を自由にするとともに税制も大きく変えました。
江戸時代まで収穫高の40~50%を”米”を納めていましたが、明治時代からは土地の値段の3%を”お金”で納めるようにしました。
江戸時代 | 明治時代 | |
---|---|---|
課税対象 | 収穫高 | 地価 |
納税方法 | 現物 | お金 |
納税の責任 | 村全体 | 個人 |
税率 | 収穫高の40~50% | 地価の3% (後に地租改正反対一揆により2.5%に軽減) |
これにより、政府は豊作・凶作に関係なく、安定した税収入を得ることができるようになりました。
しかし、政府は今までの納税額を減らさない方針で税率を設定したため、江戸時代と変わらない負担でした。
むしろ、課税対象が地価となったことで、凶作や災害、米価変動のリスクがつきまとうことになりました。
地価を基準とした高い税負担などに耐えかねて、農地を売却したり、自作農から小作農へと転落する者が相次ぎました。
そして、広大な土地を持った大地主が多く誕生し、土地を借りる借地人も増加しました。
1896年(明治29年) 民法制定
日常生活の基本的なルールを定めた「民法」が制定されました。
民法は「所有権絶対の原則」があり、所有権は絶対不可侵の権利とされる一方、土地を借りる権利である”借地権”は弱い立場とされました。
そして、この原則から売買は賃貸借を破るという法格言が生まれました。
これは、「地主(土地の所有者)」が変わったとき、「賃借人」は、「第三者(新しい土地の所有者)」に対して、借地権を対抗(法的に主張)できないことを意味します。
一応、借地人が借地権を登記すれば、対抗することはできますが、その際には地主の協力が必要不可欠(借地権の登記は、地主と借地人の共同申請となるため)
しかし、特約(借地権の登記をする旨)がない限り、借地人は地主に登記を請求する権利がなく、実際のところ借地権を登記することはできませんでした。
そのため、地主(土地の所有者)が変わり、新しい地主から退去を求められれば、借地人は、退去せざるを得ない状態となりました。
「地代を上げたい」と考えた地主は、この”借地人は第三者(新しい地主)に対抗できない”という民法の原則を利用。
第三者に仮装譲渡(いわゆる地震売買)を行い、借地人に無理な地代の値上げを要求したり、立ち退きを迫ったりして社会問題になりました。
1909年(明治42年) 建物保護に関する法律
民法の規定は、借地人の立場が弱く、あちこちで無理な地代の値上げや立ち退きが横行しました。
この状況を問題視した政府は、借地人の保護を目的とした「建物保護に関する法律」を制定。
借地権に関して、次のように規定しました。
建物の所有を目的とする地上権又は土地の賃借権に因り地上権者又は土地の賃借人か其の土地の上に登記したる建物を有するときは地上権又は土地の賃貸借は其の登記なきも之を以て第三者に対抗することを得
出典:建物保護ニ関スル法律第1条
これにより、「地主が協力してくれない」などで、土地の借地権が登記できていない場合でも、建物の登記しておけば、第三者(新しい地主)に権利を主張できるようになり、簡単に土地を明け渡す必要がなくなりました。
1921年(大正10年) 借地法・借家法の制定
ここで借地・借家に関する初めての法律が制定されました。
この法律では、借地権に関して、次のように規定。
建物ノ賃貸借ハ其ノ登記ナキモ建物ノ引渡アリタルトキハ爾後其建物ニ付物権ヲ取得シタル者ニ対シ其ノ効力ヲ生ス
出典:借家法第1条
これにより、借地人が建物の「引渡」を受けて入居している事実があれば、登記がなくても第三者(新しい地主)に対抗できるものとなり、借地人の権利が確実なものとなりました。
さらに
- 借地権の定義
- 借地権の存続期間
- 建物の朽廃・滅失
- 建物買取請求権(→ 建物買取請求権とは?分かりやすく徹底解説【借地権】)
なども定められ、仮に地主がこれらの定めに反する特約を結んだとしても、借地人に不利な場合は、無効にすることとしました。
また、売買、増改築、建替時には、地主の承諾を得ることとされ、現在に通じる考え方が定まりました。
1924年(大正13年) 借地借家臨時処理法
1923年に発生した関東大震災をきっかけに制定された法律です。
借家人が建てた「バラック(仮設建築物)」を借地権と認めるという内容で、震災により居住地を失いバラック生活を余儀なくされた借地人を救済することを目的としています。
1939年(昭和14年) 地代家賃統制令
国家総動員法に基づく勅令として制定されました。
戦争中によく行われる物価統制(価格の上限規制)となります。
1937年から始まった日中戦争では、戦争特需により都市部へ人口が集中したり、多くの財が戦争のために使われたため、土地価格・家賃・地代や生活必需品の価格が高騰しました。
しかし、このような状況では、国民の生活自体が成り立たなくなり、戦争遂行の障害となります。
そこで政府は、国民の生活を安定させるために、地代や家賃などを含めて、あらゆる価格に上限を設けました。
そのため、地主は、低額な家賃をカバーするために、契約の更新を拒否して、借地人を追い出しました。
そして、借地人と契約を結び直し、新たに権利金(礼金など)を取って実質的に家賃を増額したり、あるいは土地そのものを売却したりして「地代家賃統制令」に対抗しました。
1941年(昭和16年) 借地法・借家法の改正
地代家賃統制令ができてから、契約拒否による借地人の追い出しが横行しました。
この状況を問題視した政府は、借地法を改正。
これにより、地主が契約の更新を拒絶したり、解約申し入れをするには正当事由(道理にかなった事実)が必要となり、借地人は契約期間が満了しても借地を明け渡さなくてよくなりました。
地主から契約更新を拒絶することはほぼできず、地主は、一度貸した土地を取り戻すことが難しくなりました。
1966年(昭和41年) 借地法・借家法の改正
1941年(昭和16年) 借地法の改正により、借地人は安心してその土地に住み続けられるようになりました。
しかし、借地にともなう制約は変わらずで、借地上にある建物の
- 売買
- 増改築
- 建替
などをする際は、地主の承諾が必要となり、しばしばトラブルとなっていました。
そこで、政府は、地主に代わりに裁判所が承諾することができる借地非訟事件手続を導入しました。
これにより、借地人の要望(例:建物を第三者に売却したい)が地主に拒否されたとしても、裁判所に認められれば、地主に代わって「建物の売却が許可される」ようになりました。
1992年(平成4年) 借地借家法(新法)の制定
度重なる「借地法」の改正により、借地人の権利保護に重点が置かれすぎ、地主にとってはデメリットの多い法律となりました。
結果、使ってない土地があったとしても、「二度と返ってこない・・・貸すのをやめよう・・・」と契約に踏み切らない地主が増え、土地の有効活用が図りづらくなりました。
「正当事由制度」ができた当時は、戦時中で住宅事情が悪く、出兵兵士の帰還後の暮らしや残された家族の暮らしを守る意味も込められていましたが、終戦、高度経済成長、バブル期を経て、時代が大きく変わっても同じ制度がそのまま継続されました。
そのため、旧借家法は、現在の社会情勢と合わない部分が多くなり、様々な弊害も生み出していました。
そこで政府は、社会情勢の変化にともなう多様化に対応するため、「借地法」「借家法」「建物保護に関する法律」の3つを廃止。
新しく「借地借家法」を制定しました。
この法律では、期間の定めによって契約期間が必ず終了する定期借地権が創設された他、借地権の存続期間の変更、正当事由の明確化などが図られました。
これにより、借地人に傾倒しすぎていた借地権が是正され、地主が土地を貸しやすくなりました。
最後に
借地権は、
- 地主が圧倒的に有利な立場(~1909年)
- 借地人を保護(1909~1941年)
- 借地人が圧倒的に有利な立場(1941~1992年)
- 借地人に傾倒しすぎた借地権を是正(1992年~現在)
とった紆余曲折の歴史を辿ってきました。
現在、地主が頭を抱え、トラブルも多いのは、借地人が圧倒的に有利な立場となった”1941~1992年”の契約となります。
この時代は、「一度、土地を貸したら戻ってこない」と考えられるほど、借地人の権利が強く、それが地主と借地人のすれ違い生み、トラブルの原因となっています。
弊社では、借地権に関してお悩みの方のご相談をうけたまわっております。
「借地権付きの土地・建物を遺産相続した」「地代の値上げ要求された」「法外な更新料の請求された」など、借地権について、お困りの方はお気軽にご相談ください。